前田司郎『夏の水の半魚人』感想文

SNSを漂っていたら
「評価されないのでその正体を知りたい。誰か小説を読んでください」
という投稿を見かけて、

その正体がわかれば苦労しないんだけどなあ
と思いながら興味本位で読んでみたところ
あっさりとその「正体」が見つかったことがある。

その小説は恋愛小説だったのだけど
登場人物の感情も思考も全てクリアで
まったくもって行間というものがなかった。

「喉が乾いた、だから水を飲む」
みたいな感じで
「彼は優しい。優しいから好き。好きだから告白する」
というような感じ。

人間というより、数式やプログラミング言語にしか思えなかった。
読みやすく、面白くないわけではなかったのだけど、
悲しいことや嬉しいことを悲しいや嬉しいの一言で
言い表してしまうような登場人物に共感することはできなかった。

そんなことを思い出しながら、
前田司郎の『夏の水の半魚人』を読んでいた。

主人公は小学生。魚彦という変わった名前。
描かれるのは小学生同士で遊んだこととか
夏祭りにみんなで行ったことだとか
一見すると青春小説みたいな感じだけど、

名前のつけられない感情がたくさんあって
整理整頓されないまま心の奥底にしまい込まれたものが
溢れ出てくるような、そんな小説だった。

たとえば小説の中では主人公の魚彦は
授業中、先生に叱られているクラスメイトを助けるために
手を挙げて「先生、授業を進めてください」と言うことで、
クラスメイトを助けるシーンがあるのだけれど、

英雄気分で気持ちいい感情になるはずが、
何故かイライラとしたものに変わってしまう。

「良いことをすると気持ちがいい」と言われているし
大半その図式は当てはまるのだけど、
魚彦と同じような経験を僕もしたことがあって
そのときはイライラではなく自己嫌悪に近いものだったんだけど
この小説を通して当時の感情を思い出した。

他にも魚彦は自分でもよくわからない感情を覚えて
友達を殴ってしまったり、
言わなくても良いとわかっていながら
余計な言葉を口にしてしまったり

そういう名前がないからこそ
心の奥底で消えかけていた感情が
ふと蘇ってくるような小説だった。