最果タヒ『もぐ』読書感想文

夏といえば夏休み。
夏休みといえば読書感想文。

そんな単純な連想ゲームで、今日は読んでいて面白かったエッセイ
最果タヒの『もぐ』を紹介します。

最果タヒというのは現代詩人です。
詩のほかにもエッセイや小説も書いています。

今日紹介する『もぐ』は「食」にまつわるエッセイで
パフェとかドーナツとかちくわ天とか
そういった僕たちが胃に納める食べ物のエッセイが
合計25個収録されています。

僕がこのエッセイを読んで一番思ったのは
「その感覚はわからない」
ということでした。

書くこと一つひとつが
ほぼほぼ共感することができない
という事態に遭遇しました。

たとえば
「パフェは食べ物の天才」だとか
「小籠包は食べる前の期待を裏切らない」だとか
色々書いてあるのですが、

パフェは食べ物の天才だとは思わないし、
美味しい小籠包は期待を裏切ってくるし、
焼き肉はご飯と一緒に食べると美味しい

という風に読みながら
「あ、この人と食が合わない」
と感じたわけです。

「合わないなあ」と思いながら最後まで読み切りました。


と、ここまで書くと『もぐ』を否定しているみたいですが、
僕は「わからない」「共感できない」
という感情が強くてそこが面白かったのです。

「あ、そういう考え方もあるんだ」という発見という意味での
面白さももちろんあったのですが、
僕がこれまで読んできた最果タヒのエッセイというのは

意識的ではなくもやもやと感じていたものを
「あ、そうそう、そういう感じ、わかるなあ」
という風にさせてくれる文章がほとんどで、

僕の中で最果タヒの感覚というのは
「わかる」「共感できる」が8割くらい
あったのです。

その証拠に『もぐ』の中にある食以外に触れた部分の文章を引用すると

美しいものを見たときに、「美しい」と言うのって、なんか変だなあと思っていた。事実を述べているだけですよね。赤いものを見て「赤い!」と言っているようなものですよね。それなのに、まるで心の底から出た言葉のように響いている。どうして。詐欺ではないのか。事実のはずが、心臓の底にある感情すらつらぬいて、思考回路そのものを染めてしまえる

これとかすごく「わかる」と思うんです。


それが「食」のエッセイの場合
9割型「わからない」という
根本的にこの人と食の好みがあわないんだ
というのがとても面白かったです。

でもこれは真逆もあるだろうし
両方とも「わかる」という人
両方とも「わからない」という人
っていうのがいるんでしょうから

やはりいま書いている僕の文章は
書評でもなく読書感想文という言葉が
適切だと思いました。

ただ僕は『もぐ』を読むことで
言葉で出来たアンドロイドのようなそんな
印象を最果タヒに思っていたのですが、
「わかりあえない」という感情を通過することで
不思議とこの作家の人間味が増しました。