平松隆円『黒髪と美女の日本史』感想

黒髪と美女の日本史

黒髪と美女の日本史


 日本では黒髪信仰みたいなのありますよね。アニメとかだと黒髪ロングのヒロインは絶対に一人くらいはいたりとか。
 海外からも人気が高く、ジェットブラックヘアーと呼ばれているそうです。かっこいいですね。

 かと思ったらジェットコースターかよという盛り髪があったり、めっちゃ髪を染めるのが流行ったり。
 聖子ちゃんカットとか、ベッカムヘアーとか、移り変わりが激しいですよね。

 髪の価値観っていうのはなんだろう。髪ってどういう意味があるんだろうか?

 そう思って『黒髪と美女の日本史』なる本を読んでみました。おもしろい話がいっぱいでした。

 古来より、髪は成人儀礼として、あるいは恋愛の契りとして、万葉集源氏物語のなかに現れたそうです。

 平安時代くらいになると、美人というのは、髪が長いこと、艶やかな黒色であること、を意味していたそうです。

 昔は美人というのはまず髪だった、ていうのがおもしろいですよね。

 長ければ長いほどいい。もちろん垂髪でした。上にある表紙みたいな感じです。耳に髪をかけることさえ軽蔑すべきことだった。

 どうしてかというと、髪が長いということが同時に身分の高さを証明したのです。自分の身丈ほどの長い髪があったら、まともに家事や労働はできません。それは下々に任せた。下働きは髪を結っていたのです。髪を耳にかけることは、労働スタイルだから嫌われていたんですね。

 それだけ長いから髪を洗うのに一日かかったとか。髪を長く見せるために、他人の毛をカツラにして付け加えたとか。

 髪に対する情熱はんぱないっていう感じです。昔はおしゃれが限られていたというのもあるかもしれないですけど。

 昔は毛染めなんてなかったですから、髪が白くなることが老いを意味していた。男でも白髪は嫌っていたそうで、墨で塗った武将もいました。髪が黒いことは若さを意味した。だから尊ばれるんですね。

 本のなかでは、垂髪→結髪の移り変わりや、女性じゃなくて男性の髪の毛についても書かれています。

 室町時代から戦が出てきて、それで動きやすい結髪も許されるようになったそうです。

 そしてこんな本にも、織田信長のすごさがわかるようなこと書いてあるんですよね。
 武士といえば真ん中がはげている髪型ですよね。
 あれは月代(さかやき)といって、髪の毛を抜いていたそうです。めちゃくちゃ痛くて血まみれになったとか。
 

 あまりの痛さから、髪を抜くことが我慢できなくなった織田信長は、抜くのではなく剃ることを思いたつ。それまで髪を剃るのは、僧侶のすることだった。そのため、剃刀も、仏具のひとつだった。
 毛は抜くものだという慣習、剃刀は仏具であるため俗人が使用するべきではないという考えにとらわれることなく、織田信長は髪を剃ったのだった。
 僧が髪やひげを剃り落とすのは、そこに煩悩が宿るからだといわれる。すなわち、僧が髪やひげを剃るのは悪霊に取り憑かれないためだった。(p65)


 織田信長の伝説はよく色んなところで囁かれますけど、これははじめて知りましたね。というかあの髪型にそんな苦労があったとは知りませんでした。


 江戸時代くらいになると、今度は結髪をどれだけ飾るかというふうになっていきます。髪結い師が登場したりして、色んな髪型が開発されていったそうです。

 とまあ、へーと思いながら読んでいたわけですが、最後のほうで一八世紀のフランス貴族の髪事情が出てきて、それで全部持っていかれましたね。
 引用します。

 大きく結い上げた髪には、アメリカ独立戦争で活躍したフランスの戦艦の模型をのせるなど、いろいろ奇抜なもので飾られた。現代の盛り髪以上に、盛っている。
 髪が大きくなりすぎたため、馬車のなかで頭がぶつかるときには、天井部分が開く仕掛けのある馬車に乗るか、頭を窓からだしたまま乗るしかなかった。また、髪自体の高さが調節できるような工夫もされていた。(p152)


 いやいや、パンチが効き過ぎだろ。
 頭に模型をのせるとか、プラスチック姉さん(漫画)じゃねえか。
 フランスやばいな、って思いました。頭を窓から出したまま、馬車に乗るんじゃない。危ないから。

 結論としては、自分を美しく見せるために女性は髪をこだわってきた、という感じでした。女性って大変ですね。