多和田葉子さんの「百年の散歩」というエッセイを読んでいる。
様々な町の通りを舞台にした旅行記のような短編集で
冒頭の「カント通り」を読んでいたら
すぐ右隣で、ばさっと音がした。天使が羽根を広げたのかと思えば、そうではなく新聞だった。
という文章に遭遇した。
ずっと私は「新聞が開く音はなんて小気味が良いんだ」と思っていたから
「天使」なんていう仰々しい比喩も妙に納得がいって
(ああ、そっか、天使の羽根の音だったんだ、新聞を開く音って…)
そんなことを思いながらページをめくった。
それにしても多和田葉子さんは面白いなと思う。
カフェに男か女なのかわからない人がやってきて
勝手に「ルカ」と名前をつけてしまったり、
タクシーを「楽シー」と勝手に造語をつくってしまったり
言葉は与えられるものなのではなく
つくっていくものなのだと
そんなことを思い知らされる。