「アリスとテレスのまぼろしの工場」はすごく変な映画だった。

ネタバレとか気にせずに書きます。

エンタメを期待して見に行ったら哲学のアニメだった。まぼろしの世界を舞台にしているのに生きている人間を描こうとした生々しい映画だった。最後までこの映画がどう進んでどう終わるのかがあまり分からなかった。ただ10年後になんとなくこの映画を思い出すかもしれないと思って(たとえばコンビニでおにぎりを手にとってるときとか)、そのときインターネットがまだあったらこのブログのことを思い出したら良いなと思ってこの文章を書いている。

映画の舞台はある事故がきっかけとなって閉じ込められた田舎町で、その町の登場人物はずっと歳をとらない。同じ冬の季節を繰り返している。物語の中盤で彼らは「まぼろし」であることを明かされる。

現実の世界があって事故をきっかけに「現実の世界」と「まぼろしの世界」ができた。主人公を含む99%の登場人物は神様によって作られたまぼろしらしい。へー映画なのにすごい問いかけをしてくるなと思った。この映画の登場人物はすごくキャラクターをしているという感じなんだけど、すごく人間ぽい感情とすごく人間ぽい行動をしてくる。まぼろしなのに。普通の映画だったらめちゃくちゃ良いシーンで、脇役が邪魔をしてきたりする。(普通の映画だったらありえないんだけど、その脇役の感情を考えるとその行動は妥当)あと個人的に笑ってしまったんだけど、主人公とヒロインがキスをするというシーンで、キスシーンがめちゃくちゃ長い。普通のアニメだったら2秒くらいで終わるものを10秒くらいやってるし、しかもそのせいでまぼろしの世界が崩壊しはじめているのに、「まだキスしたい!」といって追加のキスシーンがある。まぼろしなのに。めちゃくちゃ人間ぽいなと思った。でもまぼろしで、しかも世界がいつ消えるか分からなくて、だからこそ寝取ろうとしたりとか、そういうのもあったけど、欲望というか自分のしたいことを素直にみんな生きててすごく良いなと思った。他の人のレビューの中で「まぼろしだから感情移入できるわけない」みたいなことが書いてあって、そんなこと言ったらそもそも映画も漫画もアニメもみんなフィクションでまぼろしだよと思ってしまった。そもそも僕たちも本当に現実と呼ばれる世界にいるのかわからないのに。

それにしてもこの映画、何でチャーリーとチョコレート工場みたいなファンタジー感あふれるタイトルにしたのだろう。道徳の教科書か、宗教のビデオみたいな内容なのに。

自動的にログインする命

まるで泥が見ている夢だ。
ストローでぐしゃぐしゃにされた心臓がオレンジ色に輝く。
重なり合った感情が塗り絵みたいに汚れが飛び散るだけ。
羊小屋にスマホを置いて眠る。枕は宙に浮いたまま。
思い出の中の祖父はいつも半笑いしている、指にこびついた油が空気を吸い込んで少しだけ大きくなる。