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徒野まで一直線

フィクションの感想。個人的なメモ。過去記事アップメイン

入ったことのない建物みたいなブログが好きだった

 今日は書けないなと思った。色々と考えすぎてしまった。余計なことも無駄なことも大切なことも考えた。
 心が落ちついてしまったらブログに書こうとしていたことが薄っぺらく感じられるようになった。もちろんそれは自分にとって大切なことなんだけど、いまはそこまで大切じゃない。できれば文章には感情を乗せたいと思っている。落ちついていれば論理は働くだろうけど、もっと体の深いところで文章を書きたかった。それで意味がわからなくなっても自分には些細なことだった。
 単純な話、全身で言葉にぶつかると生きている感覚がすごい。自分の感覚と言葉がぴたりとハマると気持ちいい。
 僕はその人がその人のために書かれた文章が好きだった。
「クロワッサンを食べた」というありふれた文章だけでも、その人らしさがぎゅっとつまっている人がいて、そういう人に憧れる。
 もっと丁寧に生きようと思った。

おみあげ

 ひさしぶりにブログを書いたら誰かと触れ合いたい欲が90%くらい消えて書いている間はすごく心が落ちついた。
 いまは本当のことだけ書こうとしている。読みやすさやわかりやすさや伝わりやすさなんて投げ捨てて、自分にとって真と思う言葉を吐く。前の二つの記事もそうだししばらくはそうやって文章を書いていく。
 ちゃんと自分と向き合っていかなきゃなと思う。でもそれがすごく難しい。自分が思っていることや考えていることは、はっきりとイエス・ノーで分かれているわけじゃない。両方ある。両方どころじゃない。アンケートでいったら五つ分かれているところ全部○をつけないといけない。
 みんな幸せになってほしいという気持ちもあれば、みんなどうでもいいという気持ちもあるし、恨んでないのにみんな死ねばいいのにという気持ちもある。一つを選べば他の選択肢が「おまえは嘘つきだ」とボコボコにしてくる。実際ボコボコにしてはこないけど後ろめたさがつきまとうし、本当のことを言っているつもりなのに嘘をついている気分になる。言葉にしたら矛盾しているのに相反する感情が共存しているのが現状で、ようやくそのことに気づいた。
 一昨日昨日とブログを書いて、嬉しいことにブクマももらって、今日はいい感じで小説も書けて、ああ一人最高だなとも思ったけど、空から友達が二三人降ってこないかなという気持ちも2,3%くらいあるし、やっぱりモヤモヤしている。
 書こうと思っていたこととまったく関係ないことを書いていてそれがまあ文章の面白いところだな。

さかな

 人と仲良くしたいというエネルギーでこの2週間がんばってきたわけだけど笑っちゃうくらい駄目で話し相手が見つかってもすぐに消えちゃうしそもそも相手されないしで結局ブログに戻るしかなかった。
 メールアドレス2つ作って一人で送り合えばいいんじゃないかなとも思ったけどさすがに虚しいからやめた。本当にマジで友達が1人もいなくて恋人もいなくてネットでも仲のいい人いなくて、自業自得だからしょうがないんだけどこれからも恐らくないのだろうと考えるとなんとかしないといけないなとは思う。
 自分の対人能力のなさをどうにかしようと思いながら、どうしようもできないままずるずると生きながらえてしまっている。
 最近になっておもしろいっていうものが色々あるんだなと気づいた。小説のおもしろさ、人と話すおもしろさ、スキーのおもしろさ、野球のおもしろさ、何でもいいんだけど一つ一つ違うんだよね。そういうのスルーしてきたのがすごくもったいなく感じる。もったいなく感じるんだけど相変わらず動くことができない。
 自分は「自分と似ている人」を見つけたくて、でも自分と似ている人を見つけることができなかった。
 人と仲良くできそうでも自分の方から怖くなったり気持ちわるくなったりしてしまうので頭おかしいんだと思う。どっかのセミナーにでも行こうかな。
 最近では積極的に自分がしなさそうなことをやるようにしているけど怠さが蝉の鳴き声みたいにまとわりついていて無理。
 趣味のところに(書き間違えなんだろうけど)「ドラムを見ること」と書いてある人がいて想像したらおもしろかった。

ブログ

 このところ小説がどうでもよくなってきた。書くこともしていないし読むこともしていない。僕が最後に読んだのは『盆栽/木々の私生活』という小説。

 ゴースト・バスターズを観た。気持ちのいいくらい変人だらけだった。三谷幸喜っぽさを感じる。
 たとえば「引き戸」というセリフは、並の人間じゃ持ってこれない。

 僕は他人の顔色を伺う自分が嫌いで、人と価値観や行動が違うせいで幼いときから否定や拒否されつづけて、刺される前に自分で刺すみたいになっていた。

 否定されても平気な人たちがいて、少なくとも全然気にしていないようなふりをしている人たちがいて、そういう人間になりたかった。

 仮に明日死ぬということがわかっていたとしても、自分はこのままのような気がする。

 できればもっと楽しく生きようと思って、人とたくさん関わりたいんだけど、他人と接するということは自分を見るということだから、ああああ、となる。

 自分はたぶん、いい人間になりたかった欲が強かったんだと思う。つまらない人間だと思われたくなかったんだ。

 書くことによってかなり自分の考えていることがねじ曲がるのが怖い。僕がいま書いた文章は嘘を入れようと思っていない。でもせいぜい自分の気持ちの30%くらいしか合っていない。それがわりと気持ち悪い。
 考えていることには、流れみたいなものがあって、気づいたら流される。そのせいで自分が何を望んでいるのかわからなくなっているような気がする。

 最近、せんとくんの現在が気になってしょうがない。

ウラジーミル・ソローキン『23000』感想 氷三部作3

-ロシア文学 海外文学

 三部作の最終巻という特色もあって、ネタバレを気にせず内容にガンガン触れていこうと思っています。未読の方は『氷』もしくは『ブロの道』を読んでから、この本を手にとっていただければと思います。
 ソローキンは前衛的な小説で知られていますが、このシリーズはエンタメ度がかなり高く、文体の密度も濃いです。やはり難度は少し高めですが、どの読者層も楽しめること請け合いでしょう。
 もしこれから読まれる方は、刊行順とはずれるのですが『ブロの道』から読まれることをオススメします。『氷』の第四部の続きから、この最終巻は始まるからです。

23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)

23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)

『23000』の魅力は何といっても「空っぽのクルミ」の方に焦点が当たることです。憐れにも金髪で青目だったがために氷のハンマーで胸を打たれた人たち。彼彼女らの視点が描かれることで、「氷」の世界に新たな風が吹きこまれます。
 両親を氷のハンマーで殺され、自らも被害を受けたオリガという女性が「被害者側」の視点で登場するわけですが、主人公感が強いのです。
「光の兄弟」の勢力が強まっていくなかで、感情移入することができる唯一のキャラといっていいかもしれません。
 復讐に燃える彼女が、同じ被害者たちに会って情報を集めていく。そのストーリーラインは映画や海外ドラマでお馴染みのものかもしれません。おもしろくないわけがないということです。
 途中で罠に引っかかり、彼女は捕まってしまいます。そこには同じように捕まった「空っぽのクルミ」たちが一〇〇人以上いました。彼彼女らは死んだ雌犬の皮を剥いで、氷のハンマーのベルトを作らされていたのです。
 この秘密工場のなかにも魅力的なキャラクターが数多く登場します。まさに帯にあるとおり超エンタメにふさわしい内容。
 オリガ側の視点はもうページを繰ることに躊躇う必要がありません。まさに「紙の文字は肉機械の体に一時的な快楽を与える(p71)」からです。

「光の兄弟」側もラストスパートを迎えます。心臓の力が強いゴルンの登場によって、23000人の仲間たちの残り三人を観測します。
 この残り三人が氷のハンマーで打たれるパートがあるわけですが、文体内容キャラともにあくが強く、ああソローキンを読んでいるんだなという気分にさせてくれます。

 近づいてくる。時間だ。中から出て、コンドームを引っ剥がす。彼女の頭をつかみ、ベッドに押さえつける。自分の角をつかむ。拳で少し急激な動作をして、ミサトの耳の中でイく。彼女は訳がわからず凍りつく。その耳は俺の精液でいっぱいだ。p194

 汝が乞わば大地は密かに汗を流す。正しく静かに祈れば善なり。密かに乞え。母なる湿潤の大地よ、開けと。しかして息子の如く、御顔、御胸、御肩、御胎に接吻せよ。そこに大事な湿物あればなり。密かに呼吸しつつ待つべし。p201

 はねるのはいいこと……せかいで一番……はねていればみんなわすれるもの……ベンチだって飛びこえたらわすれちゃう……もうベンチはない……ラララ……どぶを飛びこえたらもうどぶはない…… p207


 多様な文体が読んでいて楽しい気持ちにさせてくれます。エンタメでありながらこういう特殊なことをして小説が成り立っていることが流石としか言いようがないですね。
 長編でありながら短編集という側面もあって、前著『ブロの道』がブロ視点の一本調子であったのに対し、今回は総決算という感じで、文体内容共にオンパレードで退屈しません。

 そして23000人すべて集結した光の兄弟たちは、〈大いなる出来事〉のために円環を成して心臓で語るわけですが、問題はラストですね。
 ラストをどう解釈するか、というのが氷三部作のなかで読者側に与えられた一つの楽しみであると思います。本書を未読の方はここから先は読まないでください。

 秘密工場のヴォルフ老人は、生命体のいる地球は宇宙の秩序の乱れとして、光の兄弟たちは秩序を戻そうとしていると考えていました。つまり地球の消滅ですね。
 しかし、実際は光の兄弟たちが全員死ぬことで終わりました。地球は消滅しなかった。

「原初の光」ということで想起するのはやはり「光あれ」ですよね。神様が「光あれ」ということで世界が生まれた。大枠はそんな感じだと思います。
 光の兄弟たちの「原初の光」というものが、世界を最初に戻すのか、それとも新しい世界を作るのか、ということを考えると私は後者だと思います。
 ヴォルフ老人の言葉が正しいのであれば、秩序を正す方法は光ではなくて闇なのではないかと思うからです。それこそ消滅させるならブラックホールが一番いい。

 光の兄弟たちは、肉というものを嫌っていました。人間を肉機械とし、食べものも肉を拒んだ。だから光の兄弟たちは肉体から乖離したと考えるのですが、霊魂の類いだとは思いません。

 光の兄弟たちの死体が苦悶の表情を浮かべ、胸に痣があったことを考えれば、何かが飛び出てきたことは考えられます。
 ここで宇宙生命体と書くと安っぽくて嫌なのですが、その宇宙生命体が氷とともに一九〇八年六月三〇日に、地球に不時着した。光とともに23000の宇宙生命体は人間に寄生した。そして再び集結するように人間を操った。操ったというとその宇宙生命体に意志があるようですが、もっと本能的なものだと思います。
 爆発した隕石は、地球のなりそこないのように思います。本来だったら生命が発展するはずだったのに何かしらのアクシデントがあって駄目だった。宇宙生命体はもっと原始的なものだと思います。
 金髪、青目なのはアダムとエバを意識していると思うんですが、実際アダムとエバが金髪青目なのかは調べられませんでした。
 光の兄弟(というより宇宙生命体)は集結して、寄生した人間の体を破って、どこかへ消えたわけですが、それがどこなのかはわかりません。彼らが宇宙からやってきたというのが私の考えですが、宇宙に戻ったというのはしっくりこないのです。ただ私は彼らは救われたと考えます。

 以上、勝手な憶測です。真に受ける人はいないと思いますが、事実ではないので信じないようにしてくださいね。おもしろい解釈があったら教えてください。