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こがら

十二月もよそゆきの着物にはじめて身をつつんだとき、余った帯がのびていった畳に浸食していく夕陽の影も、こんぺいとうを口にふくんだ押入れの暗さにはかなわない。曲がった棒を魔法の杖だと言い張る少年から、空き地に隠されている秘密の在り処を教えてもらって、戦争の授業の合間にずっと考えていた。
牛乳の匂いのする廊下を歩いた。紙飛行機が窓からの光をひきずって失速していく。通学路には時計がないから追い越していく表札の数がぼくの時間だった。

ニット帽

朝、ものすごく寒い。皮膚が薄い氷を張られたみたいに冷たい。毛布二枚と布団を被ってもあたたかさをあんまり感じない。僕が出掛けるころ外は真っ暗、それでも何人かとすれ違う。横断歩道の白線がやけに白く光ってみえる。左右に広がる車道を目で追いかけてみると奥の方が黒く潰れている。

このまえ帽子を買いました。ニット帽です。あったかいです。

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田舎の遊園地のメリーゴーランド

 今日は調子がいいので、文章と仲良い感じなので、だらだらブログを更新する。まあ眠いからこれ書いたらやめるけど。
 曲を変えてみた。さっきまで暗い曲だったので無駄に明るいのにしてみた。
 途端に書けなくなった。音楽を聴いていると思考が短文になるので、意味のある文章は書きにくい。
 なら何も聞かなきゃいいんだけど、深いところに入れないとむしろうるさい方がいいことに気づいた。
 かまぼこを切るみたいな感じで、ぶにょぶにょした魚肉の部分が均等に切り分けられるからだと思う。
 自分でも驚くくらい意味のわからない比喩が飛び出てきた。引く。
 ちょっと曲変えてみよう。宗教法人マラヤ聞いてた。

 最近すごく思うのは自分は何も積んでこなかったなあということ。現在進行系で積んでいない。
 おそらくホームレスになって野垂れ死ぬんだと思う。中学生のころからずっと思っていた。思考は現実化するというし、そうなんだろう。
 働くより、本を1行でも読んでいる方が、ずっと楽しくて、価値があるように思えてしまう。
 ひきこもって本ばかり読むためには、書く仕事をするのが一番いいんだろうけど、田舎の遊園地のメリーゴーランドくらいのスピードでしか頭が回らない。
 勉強もできない人間だった。自分でやろうという気持ちと、継続してやっていく気持ちがない。
 ブログも消してばかりいた。だから何回も言うけどこのブログは消さないという気持ちでやっている。
 40年後には盆栽日記になるかもしれない。盆栽で思い出したけど、盆栽の小説がすごくよかったんだ。そういう大切なことなんで忘れるんだろう。
 僕は講演会にもいって、思えばあの日は台風で、仕方なく高いビニール傘を買って、一ヶ月前の風の強い日にボロボロになったんだ。
 気持ちいいくらい金属の骨の部分が折れていったんだ。number0聞いていた。

水深10メートル

 いまだに自分の文体がなんなのかわからなくて、文体というのは個性の意味じゃなくて、こういう文章なら絶対に書けるっていう安心感。安心感がほしい。でもいまはすらすら書けているから、そこまで悲しくない。書けないときはほんとうに書けなくて空虚さとか物足りなさを感じる。あんま眠れなくなる。こうしていつまでも起きているのも文章を書くためだが、僕の小説は歪なつみきを積み上げていくような感じなので、文体内容ともにすぐ行き詰まる。かといって何か正常なものを書けるほど、僕はまともな人間ではなく、くずやろうなのでどうするか。

 で、一番の問題は文体がもつのが2、3分だということで、こうしてまた僕は気分が変わってしまって少しずつ変化させないと書けなくなっている。統一感がないんだよね。なんか、うん、なんだろ、論理的な思考ができない。できるときもある。
 自転車に乗れる人は、急に乗れなくなったりしないんだけど、書いているとできていることができなくなったり、なにもかもわからなくなってくる。

 水深10メートルくらいまで潜れると気持ちいいのだけど、水深1メートルの地点くらいまでしか潜れなくなった。なら速さでごまかすしかない。いまは速さで気持ちよくしている。
 クロールとかバタフライとかの水泳より、ダイビングで何も聞こえなくなる方がいいんだけどな。
 あと、僕はいま曲を聞きながら書いている。日本語歌詞があっても書ける。ただ、自分の気分にぴたっとはまる曲でしか書けない。洋楽でも作業用でもいっしょだ。前はブログで聞きながら書く練習をしていたな。そういえば。

 最近Wordを導入したんだけど、僕がいいかげんに書くせいか、波線がひかれまくりでおもしろい。~たりは2セットが基本なんだけどさ、僕は1個で使う。てきとー命だ。

植物は眠る

 最近の本屋には椅子が置いてあって座りながら読むことができる。本屋はたのしい。色んな本が置いてあるから。きょう読んだ本には「植物は眠る」と書いてあった。なるほどなと思った。
 植物はいきものだけど、いきものじゃないというふうに思われていて、生物のなかで独特の位置だと思う。
 環境を護るために植物を大事にしようと言う人はいても、植物がかわいそうだから植物を大事にしようという人はいない。
 本屋に置いてあったのは木製の椅子だったから、加工された死体の上に座ってるんだなと思った。

 本を読んだり文章を書いたりしていると、生物らしさを失っていく気がしている。僕だけかもしれない。
 健康的でいられなくなった。人間がどうでもよくなった。