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会話のボールを持っていられない。

 あなたはどうですかというボールを僕はできるだけ速やかに相手へ返します。来たら秒で返します。「調子はどう?」「普通です。お返しします」
 ボールさばきは一流のそれであり、もはやサッカーというよりちょうどいいリズムとして僕は機能しています。「最近なにかいいことあった?」「ありません。お返しします」
 僕は相手にボールを持たせるスタンスなのです。
 あるとき監督から呼び出されました。
「君がやっているのはサッカーではない」
「じゃあ、なんだっていうんだ」
「ボールを蹴っているだけだ」
「うるせえ!」
 僕はぶちぎれて自動販売機を倒そうとしました。でも倒れなかった。この出来事からことわざができました。「自販機倒さずんや、倒れずんや」
 ずんや(・∀・)


「君がやっているのはサッカーではない」
 当たり前だろこいつ、と僕は思いました。僕は会話の比喩としてサッカーを用いているだけで、別にサッカーをしているわけじゃないのです。
 僕は自分が話そうとすると、しどろもどろになります。つぶやきシローを憑依させます。ただひたすらに平常心を失います。
 恐らく、他人からどう思うかどう見られるかを気にしてしまうのでしょう。ボールを持っているプレイヤーに注目が集まる。その視線が耐えられないのです。
「おい、サッカーの話してるじゃねえか」
「だから比喩だって言ってんだろ!」
「嘘つき! 嘘つき!」
「うるせえ!」
 僕はぶちぎれて自動販売機を倒そうとしました。でも倒れなかった。この出来事からことわざができました。「玉置浩二が作るカレー」
 おいしそう(・∀・)


「君がやっているのはサッカーではない」
 やばいな、と僕は思いました。
 うまいぐあいに終わらせなきゃ、永遠につづいてしまう。僕はディズニーシーの喋る亀から「天丼は3回まで」というありがたい教えをいただいていたのです。
「サッカーじゃないなら、なんだっていうんですか?」
 僕は監督に聞いてみることにしました。
 こいつに丸投げしようと思ったのです。
「え、んー、なんだろ、しいていえば……のびきったうどん、だよ」
「お前もしどろもどろになるタイプかよ!」
「し、しどろもどろになってねえよ。べ、べつに、へいきだよ」
「なってんじゃん」
「なってない、って言ってんだろ!」
「うるせえ!」
 僕はぶちぎれて自動販売機を倒そうとしました。でも倒れなかった。この出来事からことわざができました。「途中で飽きた」
 飽きた(・∀・)

ストレスフリー、シムフリー

比喩を多めにぶち込んで文章を軋ませながらでしか書けなかったのが、いまはとくに違和感なく書けてしまう。なんだかんだ十年近く文章を書いているからだろうか。前はもっとリハビリに時間かかったと思うのだが、質はともかくしてストレスフリーでキーを叩いている。
ストレスフリーといえば、最近シムフリースマホにした。いまだにシムフリーというのがよくわかっていないのだが、店員に無表情でおすすめされて、シムフリーにすることにした。彼よりペッパーくんの方が、表情と声のトーンが豊かだった。
しかしペッパーくんより、彼の方が圧倒的に人間なのだ。なるほど、ロボットは必死で人間ぶろうとするが、人間は何もせずとも人間であることを疑われない。
その人間の余裕っぷりを見せつけられて、何一つ屈辱を覚えずにAKBを歌うペッパーくんは、僕の目には哀れなロボットにしか見えなかった。
シムフリーにします」
「そうですか」
見ろ、ペッパー。感じとれ、こしょう。これが人間同士のやり取りだ。お互いに目が死んでいる。表情筋が動いていない。
だが、会話は成立している。
紛れもなく僕たちは人間なのだ。
「黒と白どっちがいいですか?」
「黒で」
「わかりました」
な?
この世界にジョークも、無駄な動きも、歌とダンスもいらない。
人間の会話だ。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
僕はシムフリースマホを手に入れた。金銭を支払い、対価を得たのだ。
ペッパーくんは、斜め上を見て固まっている。
僕はペッパーくんに見せつけるように、堂々とした足取りで店をあとにした。
勝利の歩みだった。

好きなものを忘れる

人と話していると趣味を聞かれることが多い。だいたい「小説が好きです」というふうに答えるのだけど、そうすると「好きな作家はいますか?」というふうに問答が続く。
好きな作品を言えばこと足りるのだが、なぜか私の頭は働かない。大量にあるはずなのに何一つ思い出せない。
頭の中では的が回っており、私はダーツを手にとっている。パジェロパジェロ、という声が聞こえてくる。しかし、好きな作家は誰かという問いに対して、国産の乗用車を答えるのはトリッキーすぎる。
ダーツが的にささり私は答える。
ヘミングウェイです、と。
どこからヘミングウェイが出てきたのかわからない。高校のとき「老人と海」を読んだきりだった。内容もうろ覚えである。鯨に飲み込まれるんだっけか。いや、それはピノキオだ。
当然、話も広がらない。
「まあ、なんか、文体が渇いてていいと思います。おすすめですか? おすすめは老人と海ですね。あれは自然がパンパンパーンっていう感じで、感動しますよ。なんか、はい、感動ですね」
私はそっと視線を外す。凪のような沈黙が襲う。
会話が終わってから、好きな作家をごそっと思い出す。薄ら笑いで彼らはやってくる。ちょっとそこのコンビニで、おでん買ってたんですよー、とでも言わんばかりに。いいんだよ、と私は言う。それも人生さ。
しかし、なんで私は肝心なときに好きな作家を忘れるのだろう。
他人からジャッジされるからだろうか。確かにあんまり本を読まなさそうな人に、中原昌也が好きです、とは言いにくいのだが。
おそらく、無意識のうちに相手が知っていそうでかつセンスの良い作家を探してしまうのだと思う。
自分が欲しいと思っている洗濯機よりも、豪華だという理由でパジェロを狙ってしまうあさましさがあるのだ。
これからは自分の好きなものを聞かれたら、相手を気にせず胸をはって答えよう。

好きな漫画はなんですか?
苺ましまろです! かわいいは正義

ねこのひ

毎日が何かしらの記念日であることをWikipediaや暇人どもが教えてくれる。猫の日は、まあわかりやすい。にゃーにゃーにゃーで猫、納得しよう。
しかし、なかには明らかに強引な記念日があって、かつ強欲極まりない記念日もあることを諸君はご存知だろうか。
はじめてその記念日を知ったとき、あまりの厚顔無恥ぶりに僕は震えた。五分後、思い出しても震えた。それから毎週火曜日の午前七時と七時五分に震えている。
諸君らにも、是非その記念日を知ってもらって、震えてほしい。スヌーズしてほしい気持ちでこれを書いている。
信じられないかもしれないが、その記念日は3日もある。天皇記念日でさえ1日しかないところを3日もあるという厚かましさをまず感じてほしい。
しかも、あろうことか、それが8月とか9月とか特定の月ではない。毎月なのだ。毎月3日もそいつは記念日をぶちとっている。
オールマンデースリーディズ、計算すると一年のうちに36日。10日に1日はそいつの記念日なのだ。
諸君のなかにいる心優しき人は、まだぐっと怒りをこらえているかもしれない。つまり、よほど重要な記念日に違いない、と。
水や空気といった、人間が生きていくために必要なもの、あるいは、この地球に感謝を捧げるようなステキな記念日に違いないと思っているかもしれない。
ここまで書いて思ったんだけど、記念日の使い方間違ってないだろうか。まあいいや。
では、その記念日を発表しよう。
ここまで盛大にひっぱっておいてたいしておもしろくない、ということが世の中にはあるっていうことだけ覚えておいてね。
毎月3、4、5日は……。
なんと、みたらし団子の日でした。ぱちぱちぱち。
団子ならまだしも、みたらし限定ですよ。ありえん。
まあ、別にどうでもいいんだけどね。
せめて3月4日オンリーにして欲しいですよね。そんなオンリーナイトの夜でした。うまくない。

にんじん

 比喩でぼかしぼかし書いていく文章は楽しかった。いまはなき上野動物園の遊園地のトロッコが、カーブに差し掛かるときスピードを速めた、あの身体がふわっと浮かぶ気持ちを思い出した。
 子どものとき僕はディズニーランドに行くと、最初のアーケードみたいなところの高い屋根に、風船が引っかかっているのをよく見ていた。
 だから僕は手のひらにぐるんぐるんと紐を巻きつけていた。家に帰ると安心して風船を離した。
 天井にひっかかった風船を見ながら眠るのが好きだった。一階と二階をつなぐ階段の高くなっているところにも離した。
 もう家のどこにも丸い痕跡はない。
 このまえゴッドファーザーを見た。
 ゴッドファーザーのイメージが残忍なヤクザの世界で、僕はとくに見ようとも思わなかったんだけど、タイトルを知っているというのはそれだけで安心感あって、ついつい借りてしまった。
 そのときは1しか借りなかったんだけど、すぐ返してパート3まで一気に見た。
 僕は風船のことについて書いていて、若かりしゴッドファーザー(ヴィトー)が、その地域のボスであるファヌッチを殺害するシーンを思いだしたのだった。
 家に忍びこんで階段をのぼるあの場面が頭をよぎった。
 ゴッドファーザーは残忍なヤクザの世界ではなかった。名作だった。それでもパート3はいらなかったと思う。