模造クリスタル『黒き淀みのヘドロさん』感想

ヘドロさんを読みましたので、感想をぶん投げさせていただきます。
おもしろいからみんな読もう。
近所の図書館に寄贈しよう。

模造クリスタルとは

まず「もぞくり」について説明いたしましょう。
「ミッションちゃんの大冒険」というweb漫画で、有名になりました。
いまは「金魚王国の崩壊」と、オリジナル同人誌をメインに活躍されていますね。

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(ミッションちゃんの大冒険)

ミッションちゃんの大冒険は読んだことある人も多いはず。自殺したはずなのに監禁され労働を強いられる話です。

ぼくはお絵かき掲示板の文章が大好きでした。
知らない人に説明すると、ストーリーの断片だったり、よくわからない歌詞、よくわからない考察がのっていました。

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(旧お絵かき掲示板

細かい歴史については調べればわかるので置いておきます。

僕にとって模造クリスタルの魅力は、その暗さと、かわいい絵のギャップにあったと思います。
しかもその暗さは精神的で哲学的なものでした。

最近のもぞくりは一見すると明るいコミカルな世界なのですが、根底には暗さがある。油断した瞬間、一気に引きずりこんできます。

ヘドロさんの「人間らしさ」

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主役であるヘドロさんは、白馬の騎士として誕生しました。
もともとはヘドロ生命体という新種の生きもの。生きものとはいえ、見た感じは動くヘドロのようなものです。
それをレーンちゃんという女子高生が、黒魔術で「人間らしさ」を付加させることによって、ヘドロさんという女の子をできあがりました。

生きているヘドロ+「人間らしさ」がヘドロさんの正体です。白馬の騎士だからか、善の塊のような女の子になりました。

ここで「ん?」と思うのが「人間らしさ」ですよね。
「人間らしさ」という言葉はすごく曖昧です。

たとえばあなたが何かしらの物質から、人間を作るとしたら、付加すべきは「魂」とか「精神」とかを考えるのではないでしょうか?

「魂」でもなく「精神」でもなく、「人間らしさ」であることが、すごくもぞくりっぽいのです。(というか漫画読む限り精神はあることにされているっぽいけど)
というのも最近のもぞくりには「人間とは何か?」という問いが根底にあるように思えるからです。。
構図として、人間vs○○という感じですね。

その対比対象が、「ビーンク&ロサ」では怪人であり、「金魚王国の崩壊」では動物であり、「ゲーム部」では物質であるんです。

人間以外と比べることによって、人間という存在を揺さぶっているんですよね。

「ヘドロさん」は恐らく、人間vs善になるんじゃないかなと思います。

「ヘドロさん」の世界では、ヘドロさん以外の主要キャラが、何かしら自分の悩みを抱えています。
というより人間というものがそういう生き物だからです。

レーンちゃんは「悪からしか善を作れない」ことを悩み
シャンプーボムは「お嬢様における自分の存在価値」で悩み
お嬢様は「どうでもいいはずのジローの存在」で悩んでいる。
能天気なゲーゲーは「アホでみんなに迷惑をかけている」ことを悩んでいますね。

ヘドロさんは自分については悩まない。いまのところ自分が人間とは違って、ヘドロ生命体であることも、石鹸を食べることも、悩まない。

表面的にはすごく人間らしいのに、まったくもって内面が人間らしくないのが、いまのヘドロさんです。

ヘドロさんが精神的な悩みを得るか、このまま善として突き通すかで、お話は結構変わってくるんじゃないかなと思います。

ちなみに人間じゃないのに人間らしさを得てしまった悲しいお話が、「スペクトラルウィザード」シリーズなんじゃないかな、と思います。

まあそんなこと関係なく、ヘドロさんはかわいいので最高ですね。

キャラクターが魅力的

僕はもぞくりのキャラクターが大好きです。もぞくりに出てくる登場人物は、それぞれが人間らしい思考をしています。固有の哲学を持っている。
「ヘドロさん」は、キャラ成分が強めだけど、やっぱりいい。

ちなみに僕はゲーゲーちゃん押しです。
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アホすぎて石鹸を食べちゃう女の子はいなくないですか?
しかもこんなにアホな自分を客観視しているのはすごい。
作戦会議中ずっと眠っているのがかわいい。

どうでもいいと思っていることを証明するために執事を殺そうとするお嬢様とか、他にいないですよ。

そのお嬢様のお友達(?)のあだ名が、ゴモラとなめくじですからね。
ラスボスみたいな教頭先生とか。

あと、りもん先生。
りもん先生は善なんです。めっちゃ良い教師なんです。でも○○みたいな……。
僕は3話の114ページで笑ったんです。
4話であんなことになるなんて思わなかったです。

ぜひ買って、もぞくりのすごさを体感してください。
4話が真骨頂です。


フィクションの多重構造(ここから先は読まなくていい)


最近気づいたんですけど、もぞくりは基本回想を使いません。
セリフのなかで過去について触れられることはあっても、エピソードとして時間が巻き戻ることはなかったはずです。少なくとも、AがBの過去(出来事)を話す形式が取られています。
まあ「金魚王国の崩壊」は、過去の話ではあるのですけど、時間の流れとしては直線的ですよね。

ミッションちゃんの生前も、ゲーム部の部長の過去も、やんわりとしかわかりません。「スターイーター」のきりんちゃんと水無月ちゃんの関係性とかも不明のままでしたよね。

ヘドロさんでも4話で、回想ではなくレポートという形式が取られていますよね。

じゃ、なんでもぞくりが回想を使わないのかという話になりますよね。
正直わかりません。せっかくなので、いま考えます。

んー回想を用いるとですね。
メリットとしては、単純に感情移入しやすくなります。キャラのバックグラウンドが掘り下げられます。
デメリットとしては、物語が停滞します。あとは因果関係がはっきりしすぎてしまうというのもあるかな。

たとえば「ビーンク&ロサ」の12話で、ビーンクの両親が○○ということがわかりますよね。ビーンクは「あんまり気にならないんだ…」ということをいいます。
もし両親の○○の具体的なシーンが描かれていたら、すごくそのセリフは違和感あると思うんですよ。

回想として描かれていないからこそ、「あんまり気にならないんだ…」というセリフはリアリティあるんですよね。

臨床心理士が過去のトラウマを見つけてしまったら、漠然としていた不安は、確固たる不安になって解決してしまうのです。

回想は、人間(キャラ)をフィクションの中に閉じこめてしまいます。
漫画のなかで回想(原因)を描けば、現実でその結果を描かざるを得ないですからね。

ニュアンスとしか説明できないのであれですが、回想によるデメリットを、なんとなくわかってもらえばいいかなと思います。

もぞくりが回想の代わりに用いているのが、別のフィクションです。ヘドロさんでは「キングバーガーとナイトジャスティスの話」ですし、「カエルクイーンのアニメ」になります。
ネタバレになってしまうので明言はできないのですが「ヘドロさん」の4話もまたそうです。りもん先生の○○のなかにヘドロさんの世界が入ってしまうという多重構造になっています。(りもん先生視点)

バーガーの話はひとまずおいておくとして、「カエルクイーンのアニメ」は本筋とはまったく関係ありません。キングバーガーも必要ないっちゃないですよね。
昔のもぞくりでいうところのお絵かき掲示板成分になるのでしょうか。
本筋とは関係のないフィクションが追加されているということは、「ビーンク&ロサ」とか「ゲーム部」を読めばよくわかるかなと。
「ゲーム部」なんて半分近くゲーム実況漫画ですからね。めっちゃ好きなんですが。

重要なのは、もぞくりがフィクションの中にフィクションを入れている、ということですね。
なんで多重構造になっているか。

単純な話だと、嘘の嘘は真という言葉があるように、土台となる話のリアリティが増します。
デカルトで言うところの「我思う故に我あり」みたいなものです。
いや、違うかな。デカルトは忘れてください。
そもそも僕たちはフィクションのなかに生きているといっても過言じゃないわけです。

ナイトジャスティスとキングバーガーの話」はいわば、神話なわけです。
この世界の説明ですね。

キングバーガーは自分も大切にしたから生き残った。だからみんなキングバーガーの子孫である。

神様がアダムを作って、なんやかんやあって追放されて死ぬようになった、と要は同じなわけです。

そんな感じで昔は世界のあちこちで神話がありました。いまでは神話の代わりに映画やらドラマやらゲームがあります。

子どものころから普通にフィクションに親しんでいます。

フィクションの影響というのはものすごいのです。検事のドラマが流行ったら検事になりたいという人が急増しました。ドラゴンボール読んでかめはめ波打ちたくなりませんでしたか?

フィクションは現実にめちゃくちゃ影響を与えているのです。

ただフィクションが回想と違うところは、必ずしも影響を受けなくてもいいことなんですよ。
自分の尊敬している人が検事だった回想があったら、漫画的には検事を絶対目指さないといけない。
検事のドラマを見て感動するだけなら、検事になろうとしなくても違和感はない。

この違いわかりますか? 
嘘であるゆえの軽さがあるんです。
責任取らなくていいというか……。

全体的なトーンとしては、重くなることを防いでいるんです。

んんん? なんか思考がぐちゃぐちゃになったので、誰か考えてください。
入れ子式のメタフィクションではないような気がします。

病的にポップでありたい

この言葉が頭を渦巻いている……。
ポップに対する憧れのようなものが芽生えました。
とにかくひたすら明るさを追求したらどうなるんでしょうか。
カートゥンの世界では、死さえ寓話化されるところがある。
悲しみも暗さも、一つの象徴としたい。
1円玉、五円玉、10円玉、みたいな、ただの物質として感情を置きたい。
私はこれから死ぬまでポップを追求してみせる。
わかりにくいものを、わかりやすく。
つまらないものを、おもしろく。
哲学なんてキャラクターの上に出てくる「!」や「?」と同じなんだって。
そんな風に書いてみたい。

愚かな人間を愛そう。
落ちるとわかってるアイスクリームを、何の対処もほどこさず見てやろう。
死んだアイスと一緒に泣いてやる。

たたポップというものが何なのか私にはわからない。
ぼんやりとしたイメージでしかない。

とりあえず文体の確立を。
剣と盾と杖から一つ選ぼう。

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歪んだ文字は暖炉に投げ捨てよう。

干した洗濯物の間から。
チュッパチャップスの亡霊が君を襲う。