映画『神様メール』感想

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 神様メールっていうベルギーの映画を見てきた。
 不思議なコメディ。

 神様ってだいたいいい風に書かれるんだけど、この映画ではろくでなしのダメオヤジなんだよね。
 不快ルールとかいうの作るし、事故や戦争を起こしまくっている。部屋に閉じこもってパソコンでそういうことやってるわけ。
 引きこもり。
 こんな風に書いて大丈夫なのって思うんだけど、設定上ではイエスの父親ということになっているのかな。
 で、そのダメオヤジ神様にはエウっていう娘がいて、ある日父親が人類にめちゃくちゃひどいことをしていることを知ってしまう。
 反旗をひるがえしたエウは、人類に自分の余命がわかるメールを送ると、下界へと行くわけだ。
 下界への行き方っていうのが洗濯機を通っていくというのもおもしろい。
 エウは新新約聖書というのを作るため、六人の使徒と出会うことになるんだよ。

 で、その六人の使徒がそれぞれ問題を抱えている。
 左腕がなかったり、性的妄想にとりつかれていたり、殺し屋だったりするわけ。
 そんな彼らが余命を知ることで自分の人生を問い直すことになるんだけど、なんかすごく変。
 女の子になろうとしたり、ゴリラに惚れたりするからね。
 あと、わりとアダルトなシーンが多くてちょっと気まずかった。
 行為のシーンのアフレコとかしてたからね。なかなかだよ。

 でもキュート。主人公の女の子もかわいいし、新新約聖書を書くホームレスのヴィクトールもスペル聞いて無視されまくったりしててかわいい。

 ストーリー自体としては大きなことは起こらないんだけど、細かいところがおもしろいっていう感じ。

 ダメオヤジの神様も、とんでもないことをした娘のエウを追っかけるんだけど、いたるところで人類から袋叩きにされまくるのが笑える。
 脇役としては、余命62年だからといって飛び降りまくるケヴィンという若者がちょこちょこ間に挟まってくるのが最高だった。

 あとはそうだな。映像とカメラワークの使い方が良い。
 たとえば「男が30人でくるみを割っているような音」みたいな変な比喩の台詞をそのまま映像で再現したり、急に登場人物がカメラを見て語りだしたり、と手法が愉快だね。
 左手のダンスシーンとか。

 ちなみにベルギーではマッドマックスよりも興行収入あったみたいです。
 めちゃくちゃおすすめできるわけじゃないけど、アメリとか好きならたぶん好き。神様の奥さんである女神役はアメリにも出てるしね。

M-1グランプリ 2016 感想

お笑いのこと何もわかっていないくせに批評家きどりであれこれ書き連ねるやつやります。
友達いないので許してください。


1アキナ

コント漫才ですよね。アキナの前のスタイルは大喜利風味の漫才で、THE MANZAIでもファイナルに残っている。それなりにオリジナリティのある漫才でした。
今回は、ソーセージ時代のブラックな部分を残しつつ、漫才に昇華している。おもしろいんですけど、前のスタイルと比較してしまうと弱くなったかなと思います。
受けているし、おもしろいんだけど、大きな笑いは起きにくいっていう感じですね。どうしても展開に物足りなさを感じてしまう。
アキナ好きなので、どうしても辛口になってしまいますね。


2カミナリ

全力でツッコむということに目が行きがちなんですけど、ツッコミのワード自体もひとひねり加えられていますよね。見ている側としても「あ、そういえばそうだ」という新鮮な驚きがある。
あとボケの表情もいいですね。川柳のネタもよかったですが、アルファベットのネタの方がどちらかというと展開多めで点伸びたかな。
小さい方が、大きい方を叩くというおもしろさもあると思います。


3相席スタート

相席スタートはどうしても下寄りなネタが多いわけですが、そこまで不快感はないですね。ツッコミの方の山添がボケのケイさんに踊らされるという図式がそうさせるのかもしれません。ふたりとも清潔感ありますしね。
ネタ自体も、男と女あるあるで共感しやすくおもしろい。相席スタートしかできないネタだなと思います。ただ、爆発的な受けにはどうしてもなりにくい。守りなんですよね。


4銀シャリ

銀シャリの漫才は老若男女がおもしろいと思えるネタなんですよね。ネタ自体に個性はないところを、ツッコミのセンスの良さが引き出している。
2010年の頃と違って、ボケ自体のクオリティもあがってきているとは思います。ただやっぱりボケが軽く感じてしまう。うなぎくんが笑いながらボケるからですね。僕はまったくはまらなかったですが、好きな人が多いこともわかります。


5スリムクラブ

前よりは間が短くなりました。僕はすごく笑ってしまった。世界観が強すぎる。家系図をトーナメントでノーシードなんていう発想を、僕はm-1という舞台で見たいと思っていたので最高でした。
審査員の方から「飛びすぎている」というご指摘がありました。そのとき僕はアンダーグラウンドが好きなんだなと思いました。
3回戦を見たら失神すると思います。ぜひランジャタイに決勝へ行ってもらって上沼さんに審査してもらいたいです。


6ハライチ

ハライチあんまり好きじゃなかったんですが、ラジオで好きになりまして、岩井のおもしろさがもっと見ている側に伝われば、もっとウケるかなと思いました。裏放送でも岩井がおもしろかった。
前半はわりとよかったのですが、後半どうしても飽きが来てしまうんですよね。そこらへんノリボケ自体は、ワードを巧みに変えることで乗り切れていたのですが、いまのコント漫才だと設定の世界観から逃げられない。そこら辺が単調さの原因なんじゃないかと思います。あと澤部のノリツッコミのパターンも浸透してきているのが辛いところですね。でもほんとおもしろいコンビだと思います。


7スーパーマラドーナ

去年と同じスタイルですね。実況というか第三者目線からツッコむというのはなかなか新しいとは思うんですが、いかんせんテンポが悪くなりますよね。
田中のキャラが漫才に合ってから、すごくおもしろくなったコンビだなと個人的には思います。前は単なるいじめられっ子キャラで、いまは狂気キャラ。後者がばっちりはまってるんですよね。伏線もばっちり。おもしろかったです。


8さらば青春の光

能ですよ。4年前ぐらいからかけている能。僕は去年のm-1の感想で、個人的にはさらば青春の光が優勝だったと書きました。能→娘さんをください、の2本は本当に革新的だなと思っていて、同時にm-1の舞台でははまらないと思っていたんですが、わりと高評価でよかったです。
能の欠点はロースタートのところですよね。前フリが長すぎる。そのわりには飽きやすい。僕はこれで能10回目くらいなんであんまり笑えなかったですが、大舞台で見れて感動しました。
予選でやったジャックと豆の木のネタも、娘さんくださいも本当好きですね。
こことアルピーとジャルジャルは、コント師だからか漫才に対する違和感をもっていて、漫才のおかしなところを突いてくるようなネタを作ってくるんですよね。ある種の漫才あるあるですよね。だから普通の漫才を見飽きている人ほど笑えると思います。


9和牛

敗者復活戦では料理のネタをやって正直少しがっかりしたんですが、決勝では去年とはうってかわって違う雰囲気のネタをやりましたね。すごいなあと感心しました。料理のネタは去年と同じ、屁理屈スタイルなんですよね。だから嫌悪感を持つ人もいる。でも今年のネタは、180度切り替えてきた。
なんて表現したらいいでしょう。阿呆すぎる彼氏というのかな。誰でも楽しめて、かつ個性的なネタ。1本目はオチもよかったですよね。
それにしても和牛はネタが豊富ですよね。次々と新しい漫才を考えだして物にしていくところに痺れました。


ファイナルステージ


1スーパーマラドーナ

わりと昔のネタだっけかな。普通のコント漫才になってしまいましたね。たぶん銀シャリと和牛を見て切り替えたのでしょう。正統派のコント漫才でいいとは思うんですけど、田中の狂気分も落ちるし、目新しさもなくなる。その代わりテンポはよくなりました。もしかすると、スーパーマラドーナがいままでやってきたこのスタイルのネタで勝負をかけたかったのかもしれません。


2和牛

1本目と同じ延長線上にあるネタですよね。迷彩服のところで決まったかなと思ったんですけど、結果は銀シャリでしたね。1本目と比べると、伏線がしっかりしているしネタ自体もおもしろくなっていると思います。ただジャングルジムの落ちと比べると、最後があっさりしすぎて、んんーと思ってしまいましたね。


3銀シャリ

優勝しました。おめでとうございます。2本目はほのぼのとしていて好きでした。ただ、ネタ自体の質は1本目と比べると落ちるかな。


敗者復活戦も書きますか。

僕は、東京ダイナマイトかまいたちメイプル超合金に入れました。次点で、ミキと和牛ですね。

東京ダイナマイトは純粋におもしろかったです。時事ネタをちょくちょく入れてくるのが好きです。
かまいたちも、去年とは違う偏屈スタイルで好きでしたね。ネタの入りが最高でした。マジなのかボケなのかわからない感じでよかったです。
メイプル超合金は、普通におもしろかったので入れました。

かまいたちが行って欲しかったんですけど、結果的に和牛でよかったなと思いました。

書くことについて②

 書くことは誰かと感情を共有したいという気持ちから始まる、と昨日書いた。それの補足としてつらつら文章を書いていて、本当にそうなのだろうかという疑問が頭をもたげた。

 日記はどうなのだろう。人は誰にも見せないことを前提として文章を書くことがある。
 こうしていま僕が書いているこの記事もアップすることで誰か読むかもしれないが、誰かに見せるために書いているわけではない。

 漠然と考えていることも、書くことによって新しい発見があるし矛盾点も見つかる。

 小説を書いている人なら経験あると思うが、頭のなかでは名作と思えるものも、いざ書き始めたら凡作、駄作ということがあるのと一緒だ。

 頭のなかでは曖昧で許されるものが、文章では許されない。

 書くことによって思いもよらない文章ができたり、自分がどう思っているのかわかるというのは、純粋に楽しいしおもしろい。

 だから僕は書いているのだとは思う。僕は書きあがったものより、書いている状態の方が好きなんだ。楽器の演奏やゲームをしているときと同じだ。書き終わるということは書いている状態の終わりであって、できあがった文章はでこぼことしたトロフィーのようなもの……。

 と、思いっきり話が脱線している。共有という考えはどこ行ったのだろうか。
 文章を見せない時点で、共有は関係ない、ということにしておく。
 わたしが私に共有しようとしているという言い方はできるかもしれないけど、それは考えるのが怠かった。
 だから言葉を言い換えよう。

 人は文章を誰かに見せる前提で書くとき、誰かと感情を共有しようとしている。

 回りくどいけど、これでどうだろう。

 誰かと感情を共有するために、人は文章を書いて他人に見せる。

 こっちの方がいいかな。

 しかし、ここまで書いてきて結局僕は何を書きたかったのか見失ってしまった。
 書きたい動機があって文章は始まるべきなのに、読まれることを前提に文章が始まっていることを、疑問に思ったのかもしれない。


 あと、そうだな。ここからは余談になるのだけど、誰かに読まれることは本当に重要なのだろうか。読者は大切だよ。でも、みんな、読まれること=読者数で考えすぎているのだと思う。

 読者が1人でもおもしろいと思えば、それはおもしろい文章なんだ。数は関係ないんだよ。

 真剣な気持ちで文章に向き合えば、1人は絶対におもしろいと思ってくれる人がいる。
 それくらいネットは広いんだ。

 適当に書いたものに何百人から賞賛されるより、真剣に書いたものに1人から賞賛される方が、ずっと甘美なんだよ。

 みんながみんなたくさんの人に読まれたいと思って文章を書くわけじゃないんだ。

 まあ僕は5億人に読まれたいけどね。(嘘

書くことについて①

 今日は書くことについて書こうと思って、1000文字くらい書いていたのだけど、どうにもまとまらなくて放ってしまった。
 結局僕は「作者―文章」の関係性について書きたかったのに、入り組んだ町のようにあらぬ方向へと行ってしまったのだ。

 作者―文章―読者

 こんなふうに文章について表せると思う。
 文章の書き方、なるものが取り立たされるとき「文章―読者」の関係性について語られることが多い。
 良い文章は、読者が最優先にされることに気づいているだろうか。

 読まれるためにわかりやすく書く。
 読まれるために技術を使う。

 人へ伝えるために文章を書くのだから当たり前だと思うかもしれない。
 でも僕は「作者―文章」が死んでいるのなら、いくら「文章―読者」を強いパイプで結んだところで良い文章とはほど遠いと思う。

 例えば、情報教材の販売サイトを思い出してほしい。
 長い販売促進の文章があって、スクロールしていくと「10万円がいまだけ1万9800円。限定10個」と書いてある例のあれである。
 ある程度、インターネットに慣れた人ならまず引っかからない。が、よく知らないで最初に訪れた場合、わりと高い確率で欲しくなるんじゃないだろうか。
 ありとあらゆる心理学を用いて、読者に買わせるように仕向けているからだ。
 読者に読ませる、読者に興味を持たせるという意味では、おそらく最強の文章である。(もはや効果は薄いとはいえ)

 しかし誰も情報教材のあの文章を、名文だと思わないだろう。
 そこには飾りだけの言葉しかないからだ。
 書くことによって作者はまったく心が動いていない。
 
 作者と文章との関係性がきちんとしていて、はじめて文章は意味を成す。
 もうちょっとわかりやすく書き足すとこうなる。

 世界(関心)―作者―文章

 何気ない夕陽でも作者が本当に感動したのなら、「夕陽がきれいだった」という簡易な文章でも意味があると僕は思う。それが読者の誰の心も打たなくても(実際、関心の度合いが深ければ文章も良くなるからそんなことはないが)、はっきりとその文章には意味がある。

 そもそも文章が上手くなりたいという思いは、自分が心を動かされるものがあって、でもその対象を上手く表せないときに生じるのではないだろうか。
 本当に感動したのに、「夕陽がきれいだった」としか書けないもどかしさから、もっと上手く書きたいと思う。
 そう。そうなんだ。
 書くっていうのは伝えるというより、誰かと感情を共有したいという気持ちから始まるんじゃないだろうか。

 水を取ってきて
 水がおいしい

 この二つの文章は似ているようでぜんぜん違うんだ。前者は伝えるためだけの文章だけど、後者はそのおいしさを共有するために書かれているんだ。
こうして書いてみて、いまようやく書くことって何なのかわかってきたような気がする。

映画『小さな園の大きな奇跡』感想

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 簡単にあらすじを説明すると、5人しかいない廃園寸前の幼稚園のために、元エリート幼稚園の園長が立ちあがるというお話。
 5人の女の子たちの家族は貧しい生活をしていて、転園しようにもお金がなく、満足な教育が受けられない。
 テレビでその幼稚園のことを知ったルイは、4500ドル(約6万円くらい)という薄給にも関わらず園長になることを決意する。

 映画では、貧しい村人たちの生活と、満足に教育が受けられない子どもたちの実態が描かれつつ、園長ルイと子どもたち(とその家族)との心温まるふれあいがメインとなっている。

 ストーリーの骨格だけを追うと、よくある感動ものなのかもしれない。
 特に目新しいシナリオではないし、ところどころご都合主義っぽいところがあったり、ギロチンとか微妙なシーンもある。
 映画の出来だけを見ると満点とは言えないかもしれない。
 だけど、観終わったあとに心の底から良いものをみたなという感覚になれる映画だった。とても魅力的でやさしい。

 なんといっても役者の演技がすごくいい。
 ぼくには演技の上手い下手というのはわからないんだけど、画面越しに伝わってくるものはあると思う。
 ざっくばらんな言い方をするとその人の持っている雰囲気になるんだろうか。
 5人の女の子はほんとに自然体だった。ぎこちなさも含めて、子役にありがちな過剰な演技が感じられなかった。
 素なんじゃないかなとさえ思った。
 この映画の登場人物たちは、役であるのを置いといても一人一人の魅力というかその人らしさがすごく出てた。
 だから感動的なシナリオが余計に胸に染みた。
 エンドロール中に、収録現場の映像が流れた。大人も子役も含めてみんなめちゃくちゃ楽しそうにしているのを見て、ああと思った。
 監督がすごいんだなって。映画の監督の役目って、映画を取り仕切るっていうイメージしかなかったんだけど、役者の力を引き出すっていうのもあるんだなと改めて思った。
 忘れがたいすごくいい映画でした。