読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書くことについて①

 今日は書くことについて書こうと思って、1000文字くらい書いていたのだけど、どうにもまとまらなくて放ってしまった。
 結局僕は「作者―文章」の関係性について書きたかったのに、入り組んだ町のようにあらぬ方向へと行ってしまったのだ。

 作者―文章―読者

 こんなふうに文章について表せると思う。
 文章の書き方、なるものが取り立たされるとき「文章―読者」の関係性について語られることが多い。
 良い文章は、読者が最優先にされることに気づいているだろうか。

 読まれるためにわかりやすく書く。
 読まれるために技術を使う。

 人へ伝えるために文章を書くのだから当たり前だと思うかもしれない。
 でも僕は「作者―文章」が死んでいるのなら、いくら「文章―読者」を強いパイプで結んだところで良い文章とはほど遠いと思う。

 例えば、情報教材の販売サイトを思い出してほしい。
 長い販売促進の文章があって、スクロールしていくと「10万円がいまだけ1万9800円。限定10個」と書いてある例のあれである。
 ある程度、インターネットに慣れた人ならまず引っかからない。が、よく知らないで最初に訪れた場合、わりと高い確率で欲しくなるんじゃないだろうか。
 ありとあらゆる心理学を用いて、読者に買わせるように仕向けているからだ。
 読者に読ませる、読者に興味を持たせるという意味では、おそらく最強の文章である。(もはや効果は薄いとはいえ)

 しかし誰も情報教材のあの文章を、名文だと思わないだろう。
 そこには飾りだけの言葉しかないからだ。
 書くことによって作者はまったく心が動いていない。
 
 作者と文章との関係性がきちんとしていて、はじめて文章は意味を成す。
 もうちょっとわかりやすく書き足すとこうなる。

 世界(関心)―作者―文章

 何気ない夕陽でも作者が本当に感動したのなら、「夕陽がきれいだった」という簡易な文章でも意味があると僕は思う。それが読者の誰の心も打たなくても(実際、関心の度合いが深ければ文章も良くなるからそんなことはないが)、はっきりとその文章には意味がある。

 そもそも文章が上手くなりたいという思いは、自分が心を動かされるものがあって、でもその対象を上手く表せないときに生じるのではないだろうか。
 本当に感動したのに、「夕陽がきれいだった」としか書けないもどかしさから、もっと上手く書きたいと思う。
 そう。そうなんだ。
 書くっていうのは伝えるというより、誰かと感情を共有したいという気持ちから始まるんじゃないだろうか。

 水を取ってきて
 水がおいしい

 この二つの文章は似ているようでぜんぜん違うんだ。前者は伝えるためだけの文章だけど、後者はそのおいしさを共有するために書かれているんだ。
こうして書いてみて、いまようやく書くことって何なのかわかってきたような気がする。

映画『小さな園の大きな奇跡』感想

www.youtube.com

 簡単にあらすじを説明すると、5人しかいない廃園寸前の幼稚園のために、元エリート幼稚園の園長が立ちあがるというお話。
 5人の女の子たちの家族は貧しい生活をしていて、転園しようにもお金がなく、満足な教育が受けられない。
 テレビでその幼稚園のことを知ったルイは、4500ドル(約6万円くらい)という薄給にも関わらず園長になることを決意する。

 映画では、貧しい村人たちの生活と、満足に教育が受けられない子どもたちの実態が描かれつつ、園長ルイと子どもたち(とその家族)との心温まるふれあいがメインとなっている。

 ストーリーの骨格だけを追うと、よくある感動ものなのかもしれない。
 特に目新しいシナリオではないし、ところどころご都合主義っぽいところがあったり、ギロチンとか微妙なシーンもある。
 映画の出来だけを見ると満点とは言えないかもしれない。
 だけど、観終わったあとに心の底から良いものをみたなという感覚になれる映画だった。とても魅力的でやさしい。

 なんといっても役者の演技がすごくいい。
 ぼくには演技の上手い下手というのはわからないんだけど、画面越しに伝わってくるものはあると思う。
 ざっくばらんな言い方をするとその人の持っている雰囲気になるんだろうか。
 5人の女の子はほんとに自然体だった。ぎこちなさも含めて、子役にありがちな過剰な演技が感じられなかった。
 素なんじゃないかなとさえ思った。
 この映画の登場人物たちは、役であるのを置いといても一人一人の魅力というかその人らしさがすごく出てた。
 だから感動的なシナリオが余計に胸に染みた。
 エンドロール中に、収録現場の映像が流れた。大人も子役も含めてみんなめちゃくちゃ楽しそうにしているのを見て、ああと思った。
 監督がすごいんだなって。映画の監督の役目って、映画を取り仕切るっていうイメージしかなかったんだけど、役者の力を引き出すっていうのもあるんだなと改めて思った。
 忘れがたいすごくいい映画でした。

かわっていく

 神保町で古本市がやっていて僕は毎年それをすごく楽しみにしていたんだけど、今日の今日まで忘れていた。明日は休みだから行ける。でも行かないと思う。
 自分の生活のなかでいつから小説や本がウエイトを占めるようになったのだろうか。いまや壁を覆い隠している本棚にも、そこに詰まっている本にも興味がない。邪魔だとは思わないけど空気みたいなものだ。壁に貼ってあるポスターが部屋に溶けこんでいくように、インテリアとして本棚が生活に馴染んでいる。
 映画もあんまり見ないようになって、わりと暇になった。暇になったけど、時間は足りない。むしろあっという間に過ぎるようになった。小説は圧縮された時間のファイルみたいなものだから(変な比喩笑)、単純な月日だけだと速く感じるのだろう。この二ヶ月くらいで色んなことがあった。けど二ヶ月前と今の時間をつなげると、やっていることは変わっていない。
 僕は24なんだけどこの年になってようやく人と人との関わりとか、社会性みたいなものを考えるようになった。
 昔は仲のいい恋人を見かけても嫉妬も関心も持たなかったのだけど、いまはちゃんと嫉妬するようになった。一人で読書がしたいから友達なんていらないと思っていたけど、普通に友達が欲しい。
 色んな楽しいことを投げ捨てていたんだよなあ。とはいえ、僕が小一に戻ったとしても友達も恋人もできる気がしない。あと、楽しいだけじゃないっていうのもわかっている。すれ違いやいざこい価値観の衝突とか色々あるんだろう。完璧な友達なんてエゴかもしれないし。多分そういう違いを認められなかったからいま友達がいないんだろうね。
 僕が人と人との関わりを欲するのは、寂しいというより(もちろんそれもあるけど)、一人でいることの楽しさの限界を知ったからだ。
 というより一人でいることの楽しさと、誰かと関わることで生じる楽しさ、別々なんじゃないかな。
 誰かと関わるとたいていは平凡な会話で終わるんだけど、たまに知らない価値観で殴ってくるのが楽しい。自分が意識していないことを他人は意識していたりするんだよね。
 たとえば僕は目玉焼きに塩をかけるんだけど、それが学校生活の中で話題にあがるまでは特に意識していなかったし、いまでもソースだけはわからなくて、わからないからおもしろいなって思う。
 で、この二ヶ月失敗しまくって自分なりに考えた結果、人と関わるコツは、自分を軽くすることなんじゃないかなと思った。
 相手の言葉で傷つかない。自分勝手な期待はしない。裏読みはしない。嫌われてもいいから自分の考えは伝える(相手の価値観を否定するということではないです)。自分を護る嘘はつかない。
 っていう感じ。
 自分で確認するために書いてみた。人と関わっていくうちに変わっていくだろうね。

映画の日だから「ライト/オフ」を観てきた。

 ホラーってかなり好き嫌いわかれるかもしれないというのを常々思っていた。何を怖いと思うのか人によって異なる。
 たとえばゾンビに追いかけられるのを怖いという人がいれば、ゾンビが出そうな瞬間の方が怖いという人もいて、だからこそホラー映画というのは評価が分かれる。物語としての名作は出れど、怖さとしての名作は出にくいジャンルだと思う。
 そもそも怖さを演出しようとすれば物語は遅延するし、筋が通りすぎればわけのわからない怖さは露と化してしまう。このジャンルだけ駄作が大量に生まれるのもしょうがないと思う。
 そんな難しいジャンルのなかで「ライト/オフ」はかなり健闘していた映画だと思う。怖さも申し分なかったのにプラスして物語としてもよく出来ていた。ホラー映画なのに感動もできる。テーマは家族愛なんだろうか。僕は素直にいい映画だと思った。
 ホラー映画あるあるていうのがあって、誰かが叫ぶ→慌てて駆け寄る→なんだ虫じゃないか、みたいなのを必ずホラー映画はぶっこんでくる。虫はあくまで例ね。これは緊張と緩和を利用したテクニックなんだけど、どのホラー映画も必ず使ってくるから正直いってうんざりしていた。でも「ライト/オフ」にはこれがなくて最初からホラーを決めてきたのがよかった。まあもうちょっと怖いシーン多めでもよかったのだけど。

さかな

 人と仲良くしたいというエネルギーでこの2週間がんばってきたわけだけど笑っちゃうくらい駄目で話し相手が見つかってもすぐに消えちゃうしそもそも相手されないしで結局ブログに戻るしかなかった。
 メールアドレス2つ作って一人で送り合えばいいんじゃないかなとも思ったけどさすがに虚しいからやめた。本当にマジで友達が1人もいなくて恋人もいなくてネットでも仲のいい人いなくて、自業自得だからしょうがないんだけどこれからも恐らくないのだろうと考えるとなんとかしないといけないなとは思う。
 自分の対人能力のなさをどうにかしようと思いながら、どうしようもできないままずるずると生きながらえてしまっている。
 最近になっておもしろいっていうものが色々あるんだなと気づいた。小説のおもしろさ、人と話すおもしろさ、スキーのおもしろさ、野球のおもしろさ、何でもいいんだけど一つ一つ違うんだよね。そういうのスルーしてきたのがすごくもったいなく感じる。もったいなく感じるんだけど相変わらず動くことができない。
 自分は「自分と似ている人」を見つけたくて、でも自分と似ている人を見つけることができなかった。
 人と仲良くできそうでも自分の方から怖くなったり気持ちわるくなったりしてしまうので頭おかしいんだと思う。どっかのセミナーにでも行こうかな。
 最近では積極的に自分がしなさそうなことをやるようにしているけど怠さが蝉の鳴き声みたいにまとわりついていて無理。
 趣味のところに(書き間違えなんだろうけど)「ドラムを見ること」と書いてある人がいて想像したらおもしろかった。