かわっていく

 神保町で古本市がやっていて僕は毎年それをすごく楽しみにしていたんだけど、今日の今日まで忘れていた。明日は休みだから行ける。でも行かないと思う。
 自分の生活のなかでいつから小説や本がウエイトを占めるようになったのだろうか。いまや壁を覆い隠している本棚にも、そこに詰まっている本にも興味がない。邪魔だとは思わないけど空気みたいなものだ。壁に貼ってあるポスターが部屋に溶けこんでいくように、インテリアとして本棚が生活に馴染んでいる。
 映画もあんまり見ないようになって、わりと暇になった。暇になったけど、時間は足りない。むしろあっという間に過ぎるようになった。小説は圧縮された時間のファイルみたいなものだから(変な比喩笑)、単純な月日だけだと速く感じるのだろう。この二ヶ月くらいで色んなことがあった。けど二ヶ月前と今の時間をつなげると、やっていることは変わっていない。
 僕は24なんだけどこの年になってようやく人と人との関わりとか、社会性みたいなものを考えるようになった。
 昔は仲のいい恋人を見かけても嫉妬も関心も持たなかったのだけど、いまはちゃんと嫉妬するようになった。一人で読書がしたいから友達なんていらないと思っていたけど、普通に友達が欲しい。
 色んな楽しいことを投げ捨てていたんだよなあ。とはいえ、僕が小一に戻ったとしても友達も恋人もできる気がしない。あと、楽しいだけじゃないっていうのもわかっている。すれ違いやいざこい価値観の衝突とか色々あるんだろう。完璧な友達なんてエゴかもしれないし。多分そういう違いを認められなかったからいま友達がいないんだろうね。
 僕が人と人との関わりを欲するのは、寂しいというより(もちろんそれもあるけど)、一人でいることの楽しさの限界を知ったからだ。
 というより一人でいることの楽しさと、誰かと関わることで生じる楽しさ、別々なんじゃないかな。
 誰かと関わるとたいていは平凡な会話で終わるんだけど、たまに知らない価値観で殴ってくるのが楽しい。自分が意識していないことを他人は意識していたりするんだよね。
 たとえば僕は目玉焼きに塩をかけるんだけど、それが学校生活の中で話題にあがるまでは特に意識していなかったし、いまでもソースだけはわからなくて、わからないからおもしろいなって思う。
 で、この二ヶ月失敗しまくって自分なりに考えた結果、人と関わるコツは、自分を軽くすることなんじゃないかなと思った。
 相手の言葉で傷つかない。自分勝手な期待はしない。裏読みはしない。嫌われてもいいから自分の考えは伝える(相手の価値観を否定するということではないです)。自分を護る嘘はつかない。
 っていう感じ。
 自分で確認するために書いてみた。人と関わっていくうちに変わっていくだろうね。

映画の日だから「ライト/オフ」を観てきた。

 ホラーってかなり好き嫌いわかれるかもしれないというのを常々思っていた。何を怖いと思うのか人によって異なる。
 たとえばゾンビに追いかけられるのを怖いという人がいれば、ゾンビが出そうな瞬間の方が怖いという人もいて、だからこそホラー映画というのは評価が分かれる。物語としての名作は出れど、怖さとしての名作は出にくいジャンルだと思う。
 そもそも怖さを演出しようとすれば物語は遅延するし、筋が通りすぎればわけのわからない怖さは露と化してしまう。このジャンルだけ駄作が大量に生まれるのもしょうがないと思う。
 そんな難しいジャンルのなかで「ライト/オフ」はかなり健闘していた映画だと思う。怖さも申し分なかったのにプラスして物語としてもよく出来ていた。ホラー映画なのに感動もできる。テーマは家族愛なんだろうか。僕は素直にいい映画だと思った。
 ホラー映画あるあるていうのがあって、誰かが叫ぶ→慌てて駆け寄る→なんだ虫じゃないか、みたいなのを必ずホラー映画はぶっこんでくる。虫はあくまで例ね。これは緊張と緩和を利用したテクニックなんだけど、どのホラー映画も必ず使ってくるから正直いってうんざりしていた。でも「ライト/オフ」にはこれがなくて最初からホラーを決めてきたのがよかった。まあもうちょっと怖いシーン多めでもよかったのだけど。